「李朝」とは

現在、「李朝」と言いますと、多くの方は、白磁や青磁の器・家具・手工藝といったモノを連想されると思いますが、「李朝」とは、李氏朝鮮を略した名称であり、正しくは朝鮮国または朝鮮王朝と言います。1392年に高麗の武将李成桂太祖が興し、1910年まで500余年に渡り続きました。
日本で言えば、室町時代から、安土桃山・江戸を経て、明治の終わり頃まで続いたことになります。

朝鮮王朝時代の手仕事の品々、つまり「李朝」は、王朝が奨励した儒教の精神を多分に反映し、「素朴さ、静けさ」をたたえ、世界中、特に「侘び寂びの心」をよしとするここ日本では、とても愛される存在となりました。
多くの文人墨客が、李朝の器や家具を愛で、また日本の陶芸家、職人達に技術や表現が浸透していきました。

とりわけ、柳宗悦、芹沢銈介、白洲次郎・正子夫妻らは、李朝を愛し、広くその良さを伝えたことは有名ですが、彼らが活躍した時代から、かなりの年月を経た現代においても、私たちを魅了してやまない「李朝」には、時代が変わっても不変な「美」があるといえましょう。

両班が支えた文化

朝鮮王朝では、両班(ヤンバン)と呼ばれる高級官僚が、国の政治を担い、また地主・領主としても多大な権力を有していました。
両班は、科挙制で選ばれたため、「学問」が非常に奨励され、また当時は、儒教を国教としていたため、「礼を重んじ、華美・贅沢を嫌う」精神が、尊ばれました。

こうした精神は、当然のように両班達の身の回りの品々にも、反映され、質朴とした家具や文房具などが多く生み出されました。

ソウル市内に今も現存する雲峴宮(ウニョングン)という建物は、第26代王・高宗(コジョン)が少年期を過ごした建物(父興宣大院君の私邸)などを見ると、その当時の生活様式などが実感できます。